厳島神社へのお参りを済ませて感じたこと

今年が始まり、私は以前より気になっていた広島県の宮島にある厳島神社へのお参りを兼ねて、初詣に参りました。

古来より人々を魅了していた厳島神社に到着した時感じた事は以上に歴史のある神社なんだと、参拝客の多さを目の当たりにした私はとても厳粛な気持ちになることができました。

人々は皆新年より厳島神社を参拝することによって非常に良い表情をしてその波に飲まれた私も、とても健やかな気持ちになる事が出来ました。

元来、参拝というものは祀っている神様への感謝の気持ちを表すものだと感じています。

物品もらえるものではありません。

お参りすることで心を清らかにしたり、または参道を歩く事で健康的な気持ちを得る事が出来ます。

気が向いた時に赴く事も良い事だと思います。

困った時の神頼みという言葉もあるように、人は何か頼るものがあるだけで救われるということもあるかと思います。

対象は他人であったり、金品であったり、様々な物事がありますが、人々にとって、そこに神様がいると感じることの出来る神社には参拝するだけで何か良い事があるのではと思わせてくれる魅力があります。

例えば、散歩がてらに参拝することもとても素敵な事だと思います。

精神の自己満足を得られる事が出来れば、それが毎日の活力の源となり、充実した日々を過ごせるような気にもなれます。

形にならないことではありますが、大事なのは自分がどう感じるか、それを清らかなものにしてくれるのが神社であるような、そんな気にさせてくれるのではないでしょうか。

お布施をする事で得られる御守りを肌身離さず持ち歩いたりすれば何か神様に守られてるような気にもなれますし、破魔矢を家に置いておけば、悪いものから守って頂けるような気にもなれます。

信じるものは救われる。

そんな言葉があるように私は今日も神様に守って頂いていると、神社や、鳥居、神道にまつわる物事がある度に私はそんな風に思う事ができます。

また散歩がてらに参拝をしようと、心の隅にそんな思いを抱いています。